昭和41年09月07日 夜の御理解
今日私はしみじみ、解らして頂いた様な気がすることがあるんです。今日はあの八女郡の御簾屋さんが、今日ここで見本を見せて頂くことになっておった。それであの今朝から電話が掛って参りまして、こちらに4時に来るからという事であった。それで秋永先生に今朝から連絡とりまして来て頂いて、秋永先生4時ちょっと前にみえられて、ところが待てども暮らせどもこん。とうとう秋永先生がしびれをきらして、現場の方にやらせて頂いて、もう今日は来んとじゃろうと言いよったら、夕方掛って参りました。
その間、私は思うんですね、もうこげん間違いならもう、頼むごつなかと私思いましたですね。もう案の、持って来た見本がですね、全、もうこんなら秋永先生いかんばのっち言ううごたる見本でした。いい、まだよかつもありますけんでと言うけどももう、よかちょん見ろうという気もせんようになりました。私そのことから思うんですね、これはもう商人とか(?)ありませんね、もう約束を間違えるごたったらもう絶対、信用つきませんね、私はそう思うたです、今日。
ましてこれが神様との間の場合なんかは、私だんは随分もう本当にこれは本当にご無礼、例えばですね御無礼をま、ならお詫びをするとするか、そしてこの次はというものに改まっていかったらもうだめだ。もう信用はもう愈々もうあれが言うことはもうあてにはならんていう事になるですね。神様からもあれが言う事は当にならんと言われたらどういう事になるだろうかと。私今日はそこを本当に切実に感じたんです。
これは本当に私共の場合、例えば会合なんかのことでも、本当に私は今の金光様があの「すべてのことを実意をもって」とこう仰るなかに、特にあの「時間を大切に」と正月のこちらのなかにございますですね。それを私は今日はそのことを切実に今日感じたんですけれども、本当にあの全てのことを実意をもって大切にさして頂くということになれば、本当に約束の4時に、もう来れんことはないって、心がけておけば、ね。
しかもそれがです、例えばこの人は間違いのない人だということになるようなおかげを頂いたらですね、これはもうやはり、信用を受ける。徳を受ける。お徳とは神様のご信用と仰るのですけれども、私はここんところだけでも私は厳格に守らなければいけん。ただ、私共が、まあこれはだけは私が朝の御祈念をこれはもう一秒間だって、神様と私の間に狂いはありませんです。
ね、けれども、さあならここで様々な会合、何時、何時という時には、これは私は本気になってこれはお詫びしなければいけないなあということを今日、感じたんですけれども、ちょうど御簾屋を私が今日待っておったような思いをやはり神様にさせておるだろうということです。も、一時ちゅうちからまだ集まらんじゃないか、ならそれを責任とってみれば私が本当にお詫びさして頂く、ということをです、これはもう特にこの時間を厳守するといったようなことはですね。
私はそれだけでも、私、神様のご信用を頂くことができる。まして、これが商売人であるような場合です、ここんところを本当に、もうこの人はこれだけは間違いないと、いうようにですね、あのおかげ頂けたら、あの例えばなら今日でも、もっと感じようあの見本を私は見ておっただろうと私はこう思うんですね。もういかん、この人はいかんと、こう思うてから見よると、もういよいよいかんのです、ね。ですから、まあ後にまたよいのがあるかもしれませんけれども。
もうこれはいっちょ、これはもう御簾はどうでも京都まで行ってでもひとつ、(?)いかんというふうに私は心に決めて、もう八女郡の人は、私から信用を落としたようにですね、ほんなこ一遍でもそげんですけん人間は。まして神様の場合ですね、場合のこういう所をです私、特に実意をもってすべての事を大切に、特に時間のことを大切にとこう、金光様が仰っておられるごと、今日まで私は実感しておらなかったんです。
どうぞひとつ、神様のご信用を頂くためにも、本当に正確な私共、ね、あれの言うことは間違いない、あれが言うちゃあるとじゃけん、もし、万一間違えても、あれのことじゃからよくせき、今日は何かがあったんだろうと、もう神様がもうそういうふうに見て下さるように。よし間違っても、言われるくらい、ところがもう、はあ、あれはもう初めからあれのはあてにはならんていうて、神様とも聞きよりなさらんごとなることが、沢山ありはせんだろうかといったようなことを感じたんですけれどね、
どうぞ。